泰山(山東)
山東省中部に位置し、周囲80キロ、面積426平方キロ、主峰の玉皇頂は泰安市の北にあり、標高は1545メートル。中国五大名山の第一にランク付けされ、古くは岱山と言い、「泰山」と呼ばれるようになったのは春秋時代以来のことである。
秦代以前に72人の皇帝が泰山に登り、封禅の儀を行い、始皇帝も中国統一の功績を天帝に報告した。それ以来、歴代の皇帝が泰山に登るようになった。
古代の建築物群が20カ所、石刻が2200カ所あり、主に紅門宮、万仙楼、闘母宮、経石峪、中天門、竜潭ダム、中天門、五大夫松、対松山、十八盤、南天門、碧霞祠、瞻魯台、日観峰、月観峰、後石塢、扇子崖、傲峰、長寿橘、竜潭飛瀑などの観光スポットがある。
泰山の麓にある岱廟は泰山の神である泰山府君(たいざんふくん)を祭る大きな寺で、歴代の皇帝は泰山に登る際には必ず岱廟で参拝した。
岱廟の正殿、天?殿は1009年の創建で、何度も火災で焼失し、現在のものは1668年(清時代)に再建されたもの。間口49m、奥行き18m、高さ22mの大建築で、北京故宮の太和殿、曲阜孔廟の大成殿と並ぶ、中国三大木造建築の一つ。
泰山の麓の紅門から頂上の南天門まで6293の石段があり、片道五時間前後。最も険しい登山コースは松山の麓から南天門に至る「摩天雲梯」で、俗に十八磐と称され、全長は1キロ余り、垂直の高さは400メートル、石段は1594段ある。石段は泰山の片麻岩でつくられている。
今、中天門から南天門までもケーブルカーが運営されている。
1987年、世界自然文化遺産として登録。
曲阜の孔廟、孔林、孔府(山東)
山東省の曲阜は中国の儒学の創立者、教育家―孔子の古里である。孔子は山東省の曲阜に生まれ、その死後、歴代の人々は曲阜に「孔子廟」を建てて孔子を祭るだけでなく、その子孫たちのためにも邸宅や執務場所である「孔府」を建てた。孔子とその家族の墓地に木がいっぱい植えられているため、「孔林」とも呼ばれている。曲阜の孔廟、孔府と孔林は「三孔」と呼ばれ、中国の四大古代建築群の一つである。
孔廟は曲阜市の中心部にあり、東洋の建築様式の大規模な建築物群で、歴代の孔子の祭祀行事を行う場所である。紀元前478年に建立された、現在の孔子廟は皇居に模して造られ、敷地面積は21万8000u。446の部屋と2000に及んだ碑碣がある。九重に重なるようにつくられた庭があり、三つの大きな主殿が南北の中軸線上に配置され、付属建築物が左右を対称的に分布し、配置が整然としていて規則正しい。周りは赤レンガの壁で囲まれている。主体建築の大成殿は雄大で重々しい。軒下に立つ、雲と竜を深く浅く彫刻した28本の柱は芸術的価値が特に高い。建物は彫刻や彩色が施されきらびやかで美しく、古木は天を突かんばかりに生い茂り、気勢は雄大である。孔子廟の中には大量の貴重な文物や歴代の有名な石刻が2100点収蔵されている。
孔府(孔子の邸宅)は孔子の直系の子孫が住む住居である。宋の仁宗が孔子の第46代目の孫を「衍聖公」に封じたがゆえに、孔府は「衍聖公府」と呼ばれるようになった。孔子廟の東側にあり、北に位置し南向く孔府は、460余りの部屋があり、封建社会の官庁と住居を結びつけた大規模な建築物群である。
孔林は曲阜の中心部から北へ1キロ離れた所にあり、孔子およびその子孫の墓地で、中国で最も歴史が長く、最も完全に保存されている最大規模の一族の墓地である。孔林の中には樹齢千年の木が2万本余り植えられており、また木材として使われる大きな木が10万本余りもあり、石碑が林立している。
1994年、世界文化遺産として登録。
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