清王朝が山海関以南に入ってから築造された初の皇帝皇后陵である。北京市中心より東へ150キロ離れた河北省遵化市西の馬蘭峪に位置し、敷地面積は250平方キロ、後竜と前圏の二つの部分に分かれる。後竜は陵の後にある長城から北へ少祖山と霧霊山を経て、承徳の近くまで延びている。西の密雲から東の遵化まで、山々が起伏し、風景が大変美しい。前圏は陵の所在地で、敷地面積は70平方キロ、南に大紅門、東西に長さ20キロ余りの「風水壁」がある。清の東陵は順治18年(1661年)に築造をはじめ、皇帝、皇后、妃、王女の陵墓が合わせて14カ所もある。そのうち清が山海関以南に入ってからの最初の皇帝順治帝(1644−1662在位)の孝陵、2代目の康煕帝(1662−1723在位)の景陵、4代目の乾隆帝(1736−1796在位)の裕陵、7代目の咸豊帝(1851−1862在位)の定陵、8代目の同治帝(1862−1875在位)の恵陵もあれば、さらにまた孝荘、孝恵、孝貞(慈安)、孝欽(慈禧)らの皇后の陵墓が4カ所、景妃、景双妃、裕妃、定妃、恵妃らの妃の陵墓が5カ所ある。順治帝を埋葬した1663年から、同治帝の最後の妃を埋葬した1935年までの272年間に、皇帝5人、皇后15人、妃136人、王子1人と合わせて157人がここに埋葬された。 中国現存の規模最大な、しかもほぼ完全に保存されてきた帝王皇室陵墓群である。一番南の石牌坊から、昌瑞山主峰の麓に建てられた清東陵の中心である孝陵まで、全長5キロの神路があり、道中、大紅門、更衣(着替え)殿、大牌楼、石像、龍鳳門、一孔橋、七孔橋、五孔橋、下馬碑、小牌楼、東西朝房、隆恩門、東西配殿、隆恩殿、二柱門、石五供、明楼などが次第に配置されてある。
※ 清王朝の帝王陵墓は5ヶ所あり、そのうちの3ヶ所は遼寧省にあり、北京を都にして以来、河北省の遵化市と易県に東陵と西陵を造った。
西太后:1835年生まれ、徽号は慈喜。咸豊元年(1851年)、秀女に選ばれ、翌年の5月9日に故宮入り。18歳に蘭貴人の名が賜れ、1856年3月23日、同治帝を生んだ。1862年、咸豊帝が亡くなった後、27歳の慈喜は同治帝に聖母皇太后と敬称されるようになった。1908年10月22日、病気で74歳の人生を終えた。1909年10月4日(農暦)、清東陵の普陀峪定東陵に葬られた。
普陀峪定東陵:清代咸豊帝(1851−1862在位)の皇后である西太后慈喜のお墓。普陀峪は陵墓の北にある山を指す。咸豊帝の陵墓(定陵)の東に設置したため、普陀峪定東陵と名付けられた。西太后と東太后のお墓(普祥峪という山の南麓に位置する)は東西に並べ、2ヶ所とも1873年8月20日に着工し、1879年6月20日に完成したものである。当時、両陵墓を建設するには、普祥峪定東陵は白銀2665743.823両(1両は約50グラム)、普陀峪定東陵は白銀2275818.046両を費やした。
光緒二十一年(1895)、政権を掌握している西太后は自分のお墓を造り直せとの命令を下った。改修工事は光緒三十四年(1908)まで、計13年間をかかり、そのお墓を明・清時代に最も豪華な陵墓にした。他の陵墓より、特に異なるのは@隆恩殿及び東西配殿の木材に稀少な珍品である黄花梨木を使い;A梁と枡形(ますがた)に描いた図案にすべて金箔を貼り付け、殿内の壁にも赤と黄色の金粉を付けてあり;B64本の柱は這い上がっている金メッキの銅龍に囲み(戦乱中に盗まれたため、現存の実物はない);C宮殿前の階段真ん中に、鳳凰と龍が空に舞う姿を浮き彫りで表現するレリーフがあるなど。
1928年7月、当陵墓は軍閥による盗難を蒙り、地下宮殿に埋葬された数多くの珍宝は損壊・流失された。
裕陵:乾隆皇帝のお墓で、その棺桶を置く地下宮殿の豪華さに類のものはない。前後4つ門があり、最初の門から奥までの壁に仏教関係の彫刻を施され、そのうち、八大菩薩、四天王、五方仏、五欲供、二十四仏、獅駄(背負う)宝瓶、八宝、法輪、宝珠、仏塔、盆花、執壺などのほか、チベット語とインド語で書いた仏教経典など計30111文字も刻まれてある。「石彫刻芸術の宝庫」及び「荘厳な地下仏堂」との美称を受け、仏学と石彫刻芸術、また清時代の皇帝陵墓などの研究に珍しい実物である。
孝陵の石像群:清時代の皇帝陵のうち、最大規模である。全長870mで、神路の道両側に文臣、武将3対ずつ、馬、麒麟、象、駱駝、カイチ(神話中の猛獣)、獅子など2対ずつ、あわせて18対を設置されてある。それぞれの石像は1枚石で彫刻され、高さは3メートルもある。清王朝の皇家陵墓の威厳と神聖をよく表してきた。
石牌坊:孝陵へ向かう際、最初に見える建築で、清東陵域内に入るスタート地点でもある。全体とも漢白玉という石に彫刻され、幅31.35m、高さ12.48m。中国現存の 石牌坊(石鳥居)のうち、最も幅広いものである。
2000年、清東陵は世界文化遺産として登録された。
※清東陵への見学は、北京から専用車と日本語ガイドなどの手配はできます。 |