[青城山] 灌県の西南にある。道教の発祥地の一つで、後漢の末、道教の前身と思われる五斗米道(天師道)の創始者である張道陵(34〜156)がここで布教を始めた。主峰の老霄頂は海抜1600mある、周囲120km。青々と樹木の生い茂る山が城廊のように見えていることから、「青城山」の名が付いた。昔から「青城天下に幽たり」と絶賛されている。山の上には36の峰、108の観光スポットがある。青城山には多くの道観が、青城後山には仏教の寺院が点在している。最盛期には、建福宮、天師洞、祖師殿、上清宮など100以上の寺観が存在した。避暑地としても有名。通常、前山を「青城山」、後山を「青城後山」と呼んでいる。
[都江堰] 都江堰は灌県の西側にある玉塁山の麓にあり、成都市から59km離れる。この一帯は成都平原西北部の頂きである。大小さまざまな支流が集まる岷江はここで成都平原に注ぐことになる。大昔、東へ流れる岷江は玉塁山でさえぎられ、成都平原の東へと注ぐことができなかったので、水害が多発し、農業の発展に大きな影響をもたらしていた。岷江の氾濫から成都を守るために、今から2300年前の戦国時代に、蜀(今の四川省)の郡守(郡の長官)李氷は人びとの苦しみに心を寄せ、岷江両岸のあらゆる所に足を伸ばし、山の地勢や川の流れを調べた後、紀元前250年頃から人々を率いて、治水工事を行った。岷江の激流の中で水量調節の堰堤を築造したり、平野に水路を掘削して、岷江の水を引いて田畑を灌漑したりし、成都平原を「天府の国」と呼ばれるほど肥沃で物産豊富な地にした。この巨大な古代水利施設は、現在でも完全な姿が残り、その名も広く知られている。
都江堰の水利施設は山川と平野をつなげる要衝の地に築造され、堰堤を利用せずに水を引く建築様式を取り入れた。主に「分水魚嘴」(水量調節の堰堤)、「飛沙堰」(洪水をさばく排水路)、「宝瓶口」(水を引く通路の入口)など3大施設から成り立っている。このプロジェクトによって、険な岷江は害を利に変えて、岷江の灌漑面積はさらに54万ヘクタールに拡大できた。