避暑山荘は承徳離宮という別称があり、熱河行宮とも呼ばれ、河北省承徳市中心区の北部にある。
清の康煕帝は北方への巡幸中、承徳というところが地勢的にも優れ、風景も美しく、気候も申し分なく、そして清の皇帝の故郷へ通じる門戸であることに気づいたので、この地域に行宮を築造することを決めた。康煕42年(1703年)から着工し、康煕52年に、36の景観を完成した。その後、雍正帝の時代を経て、乾隆6年(1741年)からまた築造を続け、乾隆57年に完成された避暑山荘は乾隆36景と「外八廟」を増築したものであり、規模が大きく、いまでも豪華な皇室庭園として知られている。山荘は地形に沿って、「宮殿区」「湖沼区」「平野区」と「山岳区」などの四大景観区に分けられる。建築物の全体的な配置は地形を巧みに生かして美しい景観をつくり出している。
避暑山荘は清朝の皇帝が夏に避暑し、政務をとるところとして、総面積は564万平方メートル、建築面積は約10万平方メートル、建築物は110余棟、えんえんと起伏する塀は長さ10キロもあり、中国に現存する最大な帝王離宮である。
避暑山荘は素朴、淡雅の山村野趣を格調とし、山水の本来の姿を保ち、長江以南と長城以北の風光を吸収し、大規模の王室庭園をつくった。宮殿は北方民家の四合院の形式で建てられ、黒い煉瓦と瓦を使い、石灰で継ぎ目を塗り、彩色の絵を施していない。
避暑山荘は宮殿区と苑景区の二大部分に分かれ、宮殿区は皇帝が朝政を処理し、祝典を行い、日常起居をとるところで、面積は10万平方メートル、正宮、松鶴斎、万壑松風、東宮の四組の建築からなっている。苑景区は湖沼区、平野区、山岳区に分け、湖沼区は長江以南の物産豊かな土地の特色に富み、北東の隅に清らかな泉つまり有名な熱河泉がある。平野区の西部は一面緑の草地であり、蒙古草原の風光を呈し、東部では古木が高くそびえ、大興安嶺の際なく広々とした森林の景色を呈している。山岳区では丘が起伏し、樹木が生い茂っている。
避暑山荘外の東と北の山麓には雄大かつ壮観な寺廟群が分布しており、康煕五十二年(1713年)から乾隆四十五年(1780年)までの間に続々と建立されたものである。溥善寺、普寧寺、須彌寺之廟、普陀宗乗之廟、殊像寺など計八ヶ所があるあめ、「外八廟」と総称される。これらの建物は漢代式の宮殿建築を基調とし、蒙古、チベット、ウイグルなど諸民族の建築芸術の特徴を吸収した上、建造した風格特別な寺廟建築であり、民族の団結と中央集権も象徴している。
普楽寺の主体建築である旭光閣は、丸い屋根のひさしは二重であり、造形が優しく、北京の祈年殿によく似ている。普寧寺内の大乗之閣の千手千眼観音菩薩は高さ22.23メートル、重さ110トンで、世界最高最大の木製彫像である。普陀宗乗之廟はラサのポタラ宮の形と構造をまねて建立されたもので、小ポタラ宮とも呼ばれている。
1994年、承徳の「避暑山荘と外八廟」は世界文化遺産として登録された。 |